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本当は怖い「ポニョ」

どんどん言葉を覚え始めた子供達。未熟児で、しかも男の子は女の子に比べて言葉は遅いと言われているので気長に構えていましたが、大人同士のドイツ語の会話は怖い位理解しているし、冠詞や格変化等、大学で第二外国語としてドイツ語を選択すると苦労する複雑な文法をすらすらと使いこなし始めているので改めて母国語ってすごい!とドイツ文学科卒は密かに感動しています。

「先ずは母国語!」と思っていたので敢えて日本語は全く教えていませんでしたが、最近何か言うと「ハイ!」と日本語で返事したり、「ママ、ごめんね」とか「クラゲ!」とか「アツイ!」とか日本語の単語が出て来るのでどこで覚えてきたのだろう?と思っていたら、映画の「ポニョ」でした。

「ポニョは」去年初めて見せた時から子供達の大好きな映画で、長男は幼稚園の同じクラスの仲良しの赤毛の女の子、ポリーナちゃんのことをついうっかり「ポニョ」と呼んでしまうほどお気に入りで、最近は次男もハマり出したので毎日お風呂の後にパパママの寝室のベッドで大画面で「ポニョ」を見ながらうとうと→子供部屋のベッドに運ばれるというのが定番になりつつあります。

というわけで、わたしももう何十回と「崖の上のポニョ」を見ている訳ですが、それで気付いたことがあります。この映画、全く同じ内容のまま実写版にしたら普通にホラー映画だということです。

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初めてこの映画を見たドイツ人の夫は「ディズニーのアリエルの日本版?」という感想を抱き、わたしは「ジブリ映画っていつからこんな幼稚園児向け全開になったんだ?子供いなかったら絶対見ない作品」と思ったものです。ですがこれは恐らく意図的にこれでもかと可愛らしく幼稚園児向け風にされた作画とこれまた幼稚園のお遊戯会のような楽しいサウンドトラックの罠にまんまとはまった初見の感想で、本来「スプライス」や「ぼくのエリ 200歳の少女」のようなR16ホラーファンタジー以外何者でもないストーリーを見事に幼稚園児と一緒に楽しく観賞させられてしまったということなのです。

【以下ネタバレになります】

「スプライス」はカナダとフランス合作のSFホラーで、遺伝子工学者のカップルが人間と種々の生物の遺伝子を組み合わせて異形の人工生物を誕生させるという話です。こうして実験過程で生み出されたクリーチャーは水陸両生で、ケモノでもヒトでもサカナでもない「何か」なのですが、とにかく気持ち悪い。恐らく人型ロボットで話題になる「不気味の谷」を絶妙に突く特殊メイクやCGの成せる技なのでしょうが、「ヒトのような動きもするし、ヒトのような感情も持っていそうだが明らかにヒトではない何か」がどれだけ可愛らしい少女のような存在であっても、人は嫌悪感と嗜虐指向と恐怖と同情のような矛盾する感情が絡み合った愛情に似た「何か」しか抱けず、決して親が子に注ぐような本物の愛情は抱けない…ということを、ストーリーを追いながら身を持って体験することになります。

そして、この異形のクリーチャーがやがて成長し、一匹のメスとして人間のオス(生みの親である科学者カップルの男性の方)に欲情するに至り、本当の恐怖が始まる…という異種恋愛譚要素もあるB級ホラー。ホラー映画としてはなんとなくありがちで、物凄い残虐シーンがあるわけでもないですが、異形のヒロインと「ソレ」に対する生みの親、そして傍観者である自分自身の抱く複雑な感情があまりにグロテスクで、その本能的な気持ち悪さがずっと印象に残る作品です。

半魚人であるポニョを実写用に特殊メイクとCGで何の先入観もなく作成したら、こうなるんじゃないでしょうか。

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だって、人間の少年に恋愛感情を抱き、荒れ狂う海と共に津波となって街も船も破壊しながら押し寄せる「ヒトではない何か」ですよ。

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無理がありますか?ではもう一本、「ポニョ」と似たホラー映画を紹介します。

例によってネタバレしますが…

「ぼくのエリ 100歳の少女」というスウェーデン映画です。これはハリウッド版の「レット・ミー・イン」の方が有名かもしれません。原作はスウェーデンのホラー小説です。舞台は未解決の連続猟奇殺人事件が起こる街、主人公は学校で凄惨ないじめを受けている少年です。両親は離婚していて、父親は新しい恋人(男性)に夢中、母親は生活に疲れて肉体的にも精神的にもギリギリの状態で、周囲の大人は誰も彼に真剣に向き合う余裕はありません。学校にも家庭にも居場所がない、ともすれば殺されるか、自殺するかしてしまいそうな主人公。そんな主人公の前に、何故か夜にだけ姿を見せる謎めいた美少女が現われます。お互いに孤独で、人とは違う、惹かれ合う二人…でも、少女は実は連続猟奇殺人事件の「犯人」で、動機は被害者の血を啜るため…そう、少女はヨーロッパの土着信仰や民話で語られる伝説の吸血鬼だった!…と言う話です。

この映画の特徴は、「トワイライト」のような吸血鬼と人間のラブ・ロマンスではなく、孤独な少年の魂の叫びに救いの手を差し伸べたのはヒトではなく、悪魔的存在だったという救いのなさにあります。北欧の冬特有の果てしのない暗さ、そして雪と氷が終始陰鬱に舞台を覆う中、孤独と絶望から一線を越えて「ヒトではない何か」と手を結んだ少年の暗く悲しく救われない未来は映画の中で終始一貫して暗示され続けます。「孤独な人間の魂の叫びに寄って来たのは、同じ人間ではなく、魔物だった」という設定は、日本のホラー映画「クロユリ団地」の監督も「インスパイアされた」と語っているそうです。

いやいや、「ポニョ」のソースケは孤独でもなければ絶望もしていない…と思われるかもしれませんが、そうでしょうか。何故、ソースケは両親のことを「ミサ」「コーイチ」と呼び捨てにしているのでしょうか。仲が悪い訳でもないし、愛情を受けていない訳でもない、でも、距離がある…というのがソースケ家の家庭環境なのではないでしょうか?因みに、ドイツ語版では呼び捨てではなくママとパパで吹き替えられています。ドイツで子供が保護者を呼び捨てにするのは十中八九親のパートナーの連れ子という場合なので、それだと映画の設定とは異なり小さい視聴者が混乱するとの配慮かもしれませんが、ミサのような「母親であることよりも仕事や恋愛の方を優先する」というタイプの女性はドイツでは珍しくないためあえて呼び方で「距離がある」演出をする必要がなかったとも考えられます。

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可愛らしい絵柄で楽しい音楽と共に描かれているのでつい流してしまいがちですが、ミサの言動を見ていると「ソースケは優先順位一位ではない」ということは明らかです。子供が助手席に乗っているのに無謀でめちゃくちゃな危険運転は常習、五歳の子供が海に一人で入るのも放置で、溺れかけてやっと連れ戻しても第一声は「トキさんに謝りなさい!」。わたしも一応仕事のある母親の端くれですが、息子よりも「ひまわりのおばあちゃんたち」=職場のお客さんたちの方が大事なの?と首を傾げるシーンばかりです。極めつけは、突如発生した台風で津波が押し寄せ停電に見舞われ陸の孤島となった我が家に五歳の息子をヒトかどうかもわからない得体の知れない「ポニョ」と一人残して「ひまわりのおばあちゃんたちが心配」だからと真夜中に職場へ戻ろうとする神経。仕事に対する誠意と責任感の強さは働く女性の鏡かもしれませんが、こんな時でも母であることよりも職業人であることを優先するのかと、正直毎回呆れながら見ています。

そんなミサが恐らく仕事よりも大事に思っている優先順位ナンバーワンは夫のコーイチでしょう。コーイチが仕事を優先して家に帰って来なかった時のブチギレっぷりは深い愛情の裏返し。わたしも夫が「ごめん、今日残業で帰れない」なんて言おうものならあれ位はブチギレるでしょう…実際夫が残業で帰れなくなったことなんて一度もありませんが。というか一時間残業しただけでもドイツ家庭では一大事ですが。ただ、どれだけ夫にブチギレてもわたしは子供の夕食は作ります。ミサはそうではないんですね。

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そして終盤のこのシーン。水底の天国のようになったひまわりで、ミサはポニョのお母さんと一体何の話をしたのでしょうか。ミサを気遣うひまわりのおばあちゃんの一人が「ミサさん、辛いでしょうね」と言っています。そして牧歌的なサウンドトラックとは裏腹に、グランマンマーレと向き合うミサの表情は何やら深刻です。このシーンに関して評論家の岡田斗司夫さんが興味深いことを言っていて、何でもこの時点でミサの夫コーイチは船ごと津波に飲まれて亡くなっており、グランマンマーレから「お前の息子をわたしの娘にくれるなら夫を返してやろう」と持ち掛けられているのだとか。そう、映画のラストでコーイチはミサの元に生きて帰って来ているので、つまりはそういうことです。ミサは息子よりも夫を選んだということです。

いやぁ「選んだ」とか言わなくても、ソースケはコーイチの代わりに死んだわけではないし、ソースケもポニョが好きなんだからいいじゃない!と言われればそうなのですが、幼稚園児の「すき!」が未来永劫続くのでしょうか?「ぼくのエリ」の主人公も、最終的には吸血鬼である美少女エリと共に生きる道を選びますが、その関係がいつかは純粋な愛情ではなく尽くす側と尽くされる側、仕える者と支配する者、搾取される側と搾取する側へ変質していく運命にあるということは映画の中で「前例」と共に終始暗示され続けます。ポニョの母親との一対一の話し合いでミサが暗く深刻な表情をしていたのは、自分の選択の結果ソースケの未来がどうなるのか、想像できていたからではないでしょうか。

ただ、宮崎監督はミサのような女性の生き方を否定したり批判したりするつもりは全くないのだろうとも感じます。愛情がない訳ではない、母親業を放棄している訳でもない、ただ、母親であることを、自分という一人の人間の一側面にとどめておきたいだけなのだ…というドイツや欧米によくある等身大の女性を最大限好意的に描いているというのはひしひしと伝わります。

だからお母さんは何も悪くない。お母さんがフルタイムで仕事をしていることが悪いんじゃない。お父さんが仕事でずっと家にいないのが悪いんじゃない…でも、やっぱりソースケは寂しいよ。まだ五歳の幼稚園児なんだから。その、誰にも言えない、幼稚園児の語彙力では言葉にすら出来ない感情に、すっとすり寄って来たのが、ヒトではない何か、ポニョだったのではないでしょうか。

ところで宮崎監督は「ナウシカ」や「もののけ姫」等ドイツでR指定されるような大人向け作品も描いていた人です。「もののけ姫」なんて、ドイツではR16のホラー映画扱いされています。「ポニョ」だってやろうと思えば十分ホラーテイスト全開なダークファンタジーとして描くことはできたと思います。というかむしろその方が興行的には成功したのでは?とすら思います。ではどうしてここまで徹底して「アニメは子供のもの」という方針に拘ったのでしょうか?

ドイツを含む欧州では、アニメやマンガは子供のためのものだという意識が昔から非常に強いです。そのため妥協なくリアリティを追究し、残虐描写やお色気表現も厭わない日本のアニメやマンガは衝撃であり、知識層や教育関係者を中心に反発や批判を生むと同時に一部の熱狂的なファン層も生み出しました。欧州のアニメファンの中にはジブリ映画をその急先鋒のように捉えている人もいます。そのため「ポニョ」で困惑し、以後ジブリ映画は見ていないという人も結構います。

宮崎さんは「千と千尋の神隠し」がベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した際「アメリカ人には理解されなかったカオナシがヨーロッパ人には理解して貰えた」と言って喜んでいたと聞きます。だから「海外の評価なんてどうでもいい」という人ではなく、寧ろ海外での受け取られ方にそれなりに敏感で、意識していたのでは?と思います。もしかしたら、「日本アニメ=子供向けツールで作られた大人向けコンテンツ」という偏見を打破したい、そんな先入観で観ている連中に一泡吹かせたい…なんていう思いもあったのでは?なぁんて思ったりします。

※記事中の画像はジブリ公式で提供されているものです。
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ナナコ・ゲーリング

Author:ナナコ・ゲーリング
ドイツに嫁いで11年、可愛い双子の男の子を授かりました。
このブログでは、ドイツでの暮らしと子育てのことと同時に、いつか成長した子供たちが読んでくれてもいいように、日独夫婦のわたしたちが歩んできた道のりについても書いていきたいと思います。
ブログも手探り、子育ても手探り、こんな人でも海外で暮らしてるんだぁ…と読んでいただければ幸いです。

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